人間失格
作者 | 太宰治 |
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出版社 | 時報文化出版企業股份有限公司 |
商品描述 | 人間失格 (有聲版):生而為人的困惑,愛而無能的彷徨文豪太宰治的靈魂獨白影響了千萬讀者的不朽經典村上春樹《1Q84》簡體中文版譯者施小煒翻譯日文全文標註假名,日漢對照 |
作者 | 太宰治 |
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出版社 | 時報文化出版企業股份有限公司 |
商品描述 | 人間失格 (有聲版):生而為人的困惑,愛而無能的彷徨文豪太宰治的靈魂獨白影響了千萬讀者的不朽經典村上春樹《1Q84》簡體中文版譯者施小煒翻譯日文全文標註假名,日漢對照 |
內容簡介 生而為人的困惑,愛而無能的彷徨文豪太宰治的靈魂獨白影響了千萬讀者的不朽經典村上春樹《1Q84》簡體中文版譯者施小煒翻譯日文全文標註假名,日漢對照每本書配有獨立QR碼,讀者以「花梨閱讀APP」掃描QR碼收聽日語全文朗讀音頻「我」因為機緣看到葉藏的手記,由此,主人公葉藏幼年到成年時代的經歷在讀者眼前展開。太宰治巧妙地將自己的人生與思想,隱藏於葉藏的人生遭遇中,藉由葉藏的獨白,窺探自己的內心世界--「多羞多恥的生涯」。生而為人的困惑,愛而無能的彷徨。《人間失格》是對自我靈魂的深刻剖析,對人性黑暗的深度挖掘。
作者介紹 ■作者簡介太宰治1909~1948,本名津島修治,與川端康成、三島由紀夫並駕齊驅的戰後日本文學巨匠。短短39年的生涯中,留下了140部作品。代表作有《女生徒》《斜陽》《跑吧!梅洛斯》《如是我聞》《人間失格》等,其中,《人間失格》創下了發行量1000萬冊的記錄。太宰治出生豪門、才華橫溢,但他總感到自身罪孽深重。「罪多者,其愛亦深。」太宰治認為,只有體會到自身罪孽深重的人,才能體會到愛的真諦。而作者在完成《人間失格》的當年,便自殺離世。■譯者簡介施小煒畢業於復旦大學外文系日本語言文學專業,畢業後留校任教。後留學於日本早稻田大學大學院日本文學研究科,並執教於日本大學文理學部。 主要譯著有村上春樹《當我談跑步時我談些甚麼》《1Q84》《天黑以後》《沒有色彩的多崎作和他的巡禮之年》等作品的簡體中文版,以及川上弘美《老師的提包》簡體中文版等多部譯著。
產品目錄 はしがき 楔子第一の手記 第一手記第二の手記 第二手記第三の手記 第三手記あとがき 後記
書名 / | 人間失格 (有聲版) |
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作者 / | 太宰治 |
簡介 / | 人間失格 (有聲版):生而為人的困惑,愛而無能的彷徨文豪太宰治的靈魂獨白影響了千萬讀者的不朽經典村上春樹《1Q84》簡體中文版譯者施小煒翻譯日文全文標註假名,日漢對照 |
出版社 / | 時報文化出版企業股份有限公司 |
ISBN13 / | 9789888466566 |
ISBN10 / | 9888466569 |
EAN / | 9789888466566 |
誠品26碼 / | 2681701000001 |
頁數 / | 280 |
開數 / | 32K |
注音版 / | 否 |
裝訂 / | H:精裝 |
語言 / | 95:中 日對照 |
級別 / | N:無 |
最佳賣點 : 1,文豪太宰治的靈魂獨白
2,影響了千萬讀者的不朽經典,現象級暢銷書
3,村上春樹《1Q84》簡體中文版譯者施小煒翻譯
4,日文全文標註假名,日漢對照
5,每本書配有獨立QR碼,讀者以「花梨閱讀APP」掃描QR碼收聽日語全文朗讀音頻
內文 : はしがき
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
一葉、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、
十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑
っている写真である。醜く?けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持
たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
「可愛い坊ちゃんですね」
といい加減なお世辞を言っても、まんざら空お世辞に聞えないくらいの、謂わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
と頗る不快そうに呟き、毛虫でも払はらいのける時のような手つきで、その写
真をほうり投げるかも知れない。
まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄
気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握
って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺を寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊
ぼっちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議表情の子供を見た事が、いちども無かった。
第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌していた。学生の姿である。高等学校時代の写真か、大学時代の写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生である。しかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗かせ、籐椅子に腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命の渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛
のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。
もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでも
う、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚
きたない部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どん
な表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼
めも平凡、鼻も口も顎も、ああ、この顔には表
情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写
しゃ真しんを見、眼をつぶる。既すでに私はこの顔を忘れている。部へ屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である。漫画
がにも何なにもならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出
した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快、イライラして、つ
眼をそむけたくなる。
所謂「死相」というものにだって、もっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間のからだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。
楔子
我看過那男子的三幀照片。
一張大約應該說是那男子的幼年時代吧,可以推定是十歲前後的照片。照片中那孩子被眾多的女人團團包圍(可以想像這是那孩子的姐姐們、妹妹們,以及堂姐堂妹、表姐表妹們),身著寬條紋的褲子,立在庭院裡的水池畔,腦袋向左傾斜約三十度,醜陋地笑著。醜陋?然而倘若遲鈍的人們(即對美醜之類毫不關心的人們)皮笑肉不笑地來上一句不痛不癢的奉承話:
「多可愛的孩子呀!」
聽上去倒也並不完全像是不著邊際的亂拍馬屁——說來那孩子的笑臉中並非沒有通常人們所說的那種「可愛」的影子。但是只要稍微受過一丁點鑒別美醜訓練的人,一眼看去也許就會頗為不快地嘀咕:
「多討人厭的孩子!」
彷彿拂去一條毛毛蟲一般,慌忙將照片扔到一邊。的確,越是仔細觀察,就越會不由自主地感覺到,那孩子的笑容中有一種令人莫名生厭、毛骨悚然的東西。那其實根本不是笑臉,那孩子絲毫也沒有笑。證據是那孩子是緊握雙拳站在那裡的。人是無法在緊握拳頭的同時做出笑臉的。猴子。猴子的笑容。僅僅是在臉上堆出醜陋的皺紋而已。這委實是張奇妙的照片,不知何處總讓人感到某種猥褻的表情,令人作嘔。甚至想稱他為「皺紋滿面的寶寶」。迄今為止,表情如此奇特的孩童,我從未遇見過。
第二張照片上,孩子的臉變化之大也令人震驚。那是一副學生打扮,不清楚是高中時代還是大學時代的照片,總而言之,驚人地英俊瀟灑。然而,同樣令人驚異的是,感覺不出這是一個活人。他身著學生服,白色的手帕從胸前的衣袋中探出腦袋,坐在藤椅上,架著二郎腿,並且照例面帶笑容。這次的笑容不再是滿面皺紋的猴子的笑容了,而是相當巧妙的微笑,然而與人的微笑,又有某些不同。所謂血的分量吧,或者
說生命的凝澀,總之是那種充實感,在此蕩然無存,這才是所謂輕似鴻毛,當然並非翩若驚鴻。僅僅是一張白紙,而且,是在笑。亦即是說,一切都充滿了虛假感。說是作態自不夠分量,說是輕薄又意猶未盡,說是娘娘腔亦未足達意,說是刻意修飾,自然也不夠窮形極狀。而且,仔細看去,在這英俊瀟灑的學生身上,仍然會感到某種類似志怪小說的令人毛骨悚然的氣氛。迄今為止,如此奇異的英俊青年,我尚未遇見過。
另外一張照片最為奇怪。簡直弄不懂他究竟年齡幾何。頭上還似乎有了一部分白髮。這是一間骯髒不堪的房間(照片清晰地拍攝出牆壁上的三處倒塌壞損)的一隅,他雙手攏在小小的火缽上,這次沒在笑。沒有任何表情。彷彿是雙手攏在火缽上,端坐著自然死去了一般。真是一張散發著不祥氣息的照片。奇怪的事情尚不僅如此。這張照片面部拍攝得較大,因此我可以仔仔細細地加以審查。他額頭很平凡,額頭上的皺紋也很平凡,眉毛平凡,眼睛也很平凡,鼻子嘴巴下顎都很平凡,啊,這張面孔不僅沒有表情,甚至不給人留下任何印象,毫無特點。比如我看了照片後,雙眼一閉,便已忘卻了那張面孔。我能夠回憶起房內的牆壁,小小的火缽,然而對這房間主
人的尊容,卻雲散煙消印象全無,無論如何也回憶不出分毫。那是無法入畫的面容,甚至無法繪入漫畫。睜眼看去,也不會頓生意外之喜,歡呼道:「啊,是這張臉麼,想起來啦!」說得極端點,甚至正眼再看一遍照片,也回憶不起來。只會感到不快,焦灼不安,禁不住想將視線移開。
便是所謂「死相」,也應當更有所表情,給人以更深一點的印象。倘使在人的軀體上安上駑馬的頭顱,其給人的感覺也許就是如此吧,總而言之,不知不覺會令觀者毛骨悚然,莫名厭惡。迄今為止,面容如此奇異的男子,我,同樣,從未見過。